関西ウォーカー自遊人 Trial

被災地・石巻から

4月7日に 石巻市(宮城県内第二の人口)を 訪れてから、3度目。
驚くほどのパワーで、復興に向けて走りだしていました。(*沿岸部を除く)

4月訪問と違っていたことは、全国の皆さまへ 感謝のコトバが アチコチに貼られていたこと。
少しは前へ進んだ石巻沿岸部を 見てやってください。

5月17日撮影。  まだ 八重桜が咲いておりました。

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そして、
ナンバーを見ると「なにわ」や「大阪」、「神戸」、「福岡」・・・とあり、
こんなに遠くから支援にかけつけてくれたのかと思うと思わず目頭が熱くなった。 と、おしゃってました。

コノ日も、神戸ナンバーの兵庫県パトカーや、「OSAKA City」のジャケットを着た清掃車にお会いし、
お互いエール交換! (^^)/





がれきの撤去作業は復興の速度を示すバロメーターですが、それなりの理由があるのかはともかく、
空家にしていた伯母の家(港町)被災現場へ行ってみましたが、瓦礫は そのまま・・・
倒壊家屋も手付かずのまま!

重機もトラックも人も少ないと思いました。

5月17日は満潮が続き、テレビやラジオで各港町の満潮時刻を 何度も警告しておりました。
丁度、港の伯母家へ行く時間帯と重なり、後50m.と言うところで浸水しており マイカーは進めず
手前のお寺さんへ置かしていただき、長靴に履き替え浸水した道を歩いたのですが・・・
一部、長靴以上に水が深く、縁石に上がったまま立ち往生するワタシ!^^;

救援活動を終え、戻ってきた自衛隊の車列に会うと、思わず90度のお辞儀をしてしまった。^^;
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近くに小学校避難所がありました。
2カ月以上にもわたる避難所生活がどんなに辛いものか、これは当事者以外には分からないとしても、
被災の身を、互いにいたわり合い、工夫し合って少しでも住環境を快適にしようと努力している様子を垣間見ると、
心打たれる思いがします。

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救援物資という子供用のマウンテンバイクに乗り、瓦礫の中 笑い声を上げて走り回ってる子供たちは
ワタシを見るなり、「こんにちは。 ありがとうございます!」 と声をかける・・・

子供たちに笑顔が戻ったのは、嬉しい! チョット笑顔になったワタシでした。 


被災してないワタシは話を聞こうが、現場を見ようが、心中察する事が出来ない・・・

被災者と触れ合う時 それがとても悔しい。

なにかする事は出来ても同じ目線で見る事も、痛みを分け合える事も出来ない・・・
それでも、なにかはしなくてはいけないと思う自分が居る。

流動的な世の中、立ち止まる事は即ち取り残される事。
とにかく前に進まなくてはいけない
例えどんな道でも、なにが待っていようと・・・



by trial05 | 2011-05-28 00:47 | Sendai・Miyagi